林敏生年表

1934 台北市大龍峒に生まれる。父は林春雨,母は林呉阿金である。 msl-1 
1939 大正幼稚園入園。
1940  寿小学校(現西門国民小学校)入学。
1945 二月から六ヶ月間休校。家族とともにおじの家で疎開生活を過ごす。
十月、台湾光復。學校は再開したが、 「北京話」が國語になる。
1946 建国中学初中部に入学。
1949  建国中学高中(高校)部に入学。
1952 台湾大学法律学科入学。
1956 台湾大学卒業。十月から軍隊に入り、十一月,公務員行政官試験に合格。
1957 服役中、弁護士試験に合格。
1958  軍隊生活終了。陳茂春弁護士事務所で実習。
1959 独立して事件を引き受け始める。陳茂春と共同で事務所を運営。
十二年間の債務返済が始まる。
1960 経済部中央標準局(現知的財産局)特許代理人証書取得。
1963 十二月、自宅一階に林敏生法律事務所を設立。
1964 四月、李秀卿女史と結婚。
1965 一月、林敏生弁護士事務所は中山北路に移転。国際特許法律事務所設立。
六月、長男志剛が出生。
1966 九月、次男志青が出生。
1967 七月、台灣國際特許法律事務所(TIPLO)に改名。
1968 九月、三子志洋が出生。
1969 業務開拓のため、五ヶ月間欧、美、日旅行。
イタリアのベニス(ベネチア)で開催された第 二十七回AIPPI大会に参加。
1970 一月、十二年間の債務返済が一段落。
四月、アジア弁理士協會(APAA)のにより、はじめてオブザーバーとして台湾を代表して、ワシントンで開催された知的所有権機関WIPO年度會議参加。TIPLOを率いて第一成長期に入る。
1971  五月、APAAを代表して東南アジアへ,香港、タイ、シンガポール、マレーシア等諸国の弁理士にAPAAへの参加を鼓吹 。
七月、台 北でAPAA中華民国部会成立大会が開かれ,同会の常務理事に就任。
十月、台湾は国連を脱退。
1972 四月、APAA 第二回大会は台北で開催。
十月、TIPLO組織再編成。
1975 TIPLO東京事務所設置。 
1978 中(台湾)米国交斷絶。欧米業務は試練に直面。
1979 偉成大楼の七階の半分を購入。TIPLOを率いて第二成長期に入る。
1980 TIPLO偉成大楼に移転。 
1981 北區台大弁護士親睦会の設立に携わる。同会総幹事に就任。
1982 十月、タイで開催された APAA 大会で、同会副會長に選任。
1983  台北で APAA 理事會開催。
1985 APAA 副会長に連任。
1987  六月、APAA 台北部会理事長を引き継ぐ。 
1988 六月、APAA 副会長に連任。APAAの定款改正を推進し、台湾の同会での地位を固める。 
1989 十月、米、日等国弁護士と共同で IPBA (インターパシフイック弁護士協会)を設立。十一月、文聯団率いて台北弁護士会選挙について対策を練る。
十二月、台大法学基金会設立。同基金会初回の董事長に就任。
 
1990 四月、文聯団は台北弁護士会理.監事選挙で大勝。台北弁護士会理事長に就任。
五月、司法改革連盟の主任委員に就任。
六月、台北弁護士会を主導して十項目の憲政改革を要請。
 
1991 三月、APAA 台北部会会長に連任。五月、弁護士会を率いてはじめて団体を組んで五二Oデモ行進に参加。
六月、弁護士法改正を推進。
 
1992  台北市北区優良法官(裁判官)評議会発足。
十一月、台大法学基金会の名義で彭明敏教授を招致し、台湾でのはじめての講演会を開催。
十二月、彭明敏教授を淡水にあるマンション住宅に台湾の活動拠点として入居招請。
 
1993 四月、IPBA弁護士協会会長に就任。
五月、IPBA年会は台北で開催。
七月、文聯団をリードし、再び台北弁護士伝及び弁護士伝全国連合会の選挙戦に挑戦。
八月、弁護士会全國連合会理事長に就任。
 
1994 四月、連合会弁護士職前訓練所所長に就任。第二期弁護士職業訓練を行う。
五月、再びAPAA副会長再び選任される。
七月、初めての全國弁護士大会で司会する。
八月、弁護士会全國連合会理事長に再任。
九月、「法律企業家林敏生」中国語版出版。
十二月、「法律企業家林敏生」日本語版出版。
 
1995 元月、TIPLO設立三十週年記念論文集発表会及び餐会は東京で盛大に開催された、八百五十名を超える來賓が東京新宿Grand Hyatt Hotelに集まり、TIPLOが第三成長期を迎えることを祝賀。日本円三百万円のお祝い金を全額日本阪神大震災での被災住民に寄付。   
三月、全国連合会、国策センター、弁護士会、台湾法学会が民間司法改革会議を共催。
八月、台北弁護士会の会館建設に新台湾ドル八百万元を寄付。
九月、TIPLO全員、日本九州へ社員旅行。
十一月、民間司法改革基金会の設立準備会発足,董事長に就任。
 
1996 四月、建國会の成立に協力し、設置場所にTIPLOのオフィスを提供。
十一月、第三十九回APPA理事会議の準備主任委員に就任。Grand Hyatt Taipeiで開催された大会には世界各国から九百名近くの知的財産権の專門家が出席、同台北大会は史上最も成功した大会であると称賛。
十二月、建國会に協力し、台湾国家発展会議を開催。
 
1997 四月、孫の正虎が生まれる。
五月、民間司法改革基金会は正式に設立,同基金会初回の董事長に就任。
五月、民間司法改革基金会等機関、団体を率い、全国司法改革伝議の開催を李登総統に要請。
五月、マレーシア.クアラウンプールデ開催のIPBA大会に参加。
六月、イギリスのオクスフォード大学バリオイル大学院に林敏生会館設置。
六月二十二日、肝臟癌手術後逝去。